よろず屋小隊

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持続する緊張「KGBの男」「キム・フィルビー」

ジャーナリスト出身のイギリス人作家、ベン・マッキンタイアー著「KGBの男」「キム・フィルビー」を読みました。何れも第二次大戦後の東西冷戦を舞台に、前者はKGBソ連)を裏切り、MI6(イギリス)の二重スパイをしていたKGB高官のイギリスへの亡命事件、後者はMI6に長年勤務しながら、ひそかに国を裏切りソ連側のスパイとして活動していた男の実話を描いたものです。

 

 

この手のノンフィクションは中学生のころに読みふけって以来、ほとんど読む機会がありませんでしたが、読んだところ何という面白さ、小説以上の興奮で、あっという間に2冊とも読み通してしましました。

それぞれの本で描かれるのは、ソ連とイギリスの諜報組織に勤務しながら、政治的信念やスパイ特有の欲求から、勤務先の国を裏切り、それぞれにとって最大の仮想敵国の二重スパイとなった男の人生です。

KGBの男」ではオレーク・ゴジエルスキーというKGB職員が、KGBに勤務しながらひそかにイギリス側二重スパイとしてイギリス側に大量の機密情報を渡し、「キム・フィルビー」ではMI6に長年勤務し、魅力的な人柄と有能さからトップクラスまでのぼりつめたキム・フィルビーという職員が、実はMI6に入る以前から二重スパイとして、ソ連側に大量の極秘情報を渡します。彼らは自分以外の人間には二重スパイという正体を一切明かさず、家族を含む周囲のあらゆる人間を騙し続け、身内に正体を特定され、逮捕・処刑される恐怖を常に感じつつ、長年にわたり二重スパイ生活を続けます。

著者のベン・マッキンタイアーは何れの本でも、関係者への取材に基づいた丹念な描写はもちろんのこと、単なる事実の羅列にとどめず、あくまでスパイとその家族、同僚、知人、敵対者、協力者との人間模様を通して、二重スパイの孤独さを浮き彫りにします。二重スパイは最後に身内に正体を特定され、逮捕される危機に瀕しますが、ここで長年スパイ活動を続けた組織に救援メッセージを出し、亡命を試みようとします。

KGBの男」ではついにソ連側に正体がばれたゴジエルスキーが、前々よりMI6と打ち合わせていた救援の合図を出し、常時KGBに監視されている脱出不可能なモスクワから、奇想天外かつ大胆な方法で西側に脱出を、「キム・フィルビー」では過去に身内から二重スパイの疑いをかけられるも、見事な演技で疑念を払しょくしていたフィルビーが、意外な人物の証言から正体を暴かれ、レバノンベイルートからソ連側への逃亡を決意します。

真実は小説より奇なりとは言いますが、周囲すべてを裏切りながら活動する二重スパイの生活の奇妙さ、面白さと、あまりにも奇想天外な脱出作戦まで、最初から最後まで緊張感が持続する見事な作品でした。また翻訳本として、日本語訳を担当した小林朋則氏の訳が非常に素晴らしい。内容が優れていても翻訳で読みにくかったら台無しですが、そのようなことは一切なく、下手な日本人著者の数倍読みやすく、明快な日本語訳です。

同じ作家の第二次大戦の二重スパイ作戦をあつかった著作「英国二重スパイ・システム」「ナチを欺いた死体」「ナチが愛した二重スパイ」もあり、順次読んでいく予定です。

 

 

 

 

 

 

西村晃二本立て!「悪の階段」「東京湾」

先日、新文芸坐で久々に邦画二本立てを見ました。

コロナ以来、楽しみにしていた007をはじめ新作映画の上映延期も相次ぎ、映画館に足を運ぶことはすっかり少なくなっており、直近で見たのは「シン・エヴァンゲリオン」のみという有様でした。そんな中、偶然に新文芸坐のツイートを見たところ、何れもDVD・配信無しの隠れた傑作「東京湾」「悪の階段」が、西村晃特集として久々に上映されるということで、万難を排して見に行った次第です。

 

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①悪の階段(1965年東宝鈴木英夫監督)

あらすじ:建設会社で知り合った4人組(岩尾=山崎努、下山=西村晃、熊谷=久保明、小西=加東大介)及び岩尾のパートナー、ルミ子(団令子)が、化学工場の給料4000万円を盗み出す。当局に怪しまれないよう、岩尾は半年間金には手を付けないとの条件をつけ、世田谷のはずれに偽装の不動産屋をこしらえ、地下室の金庫に4000万円を隠し、鍵で分けて持たせる。全員の合意無しには金庫は開けられない仕掛けだ。しかし早速、小西が大金に舞上がり、女に金を貢ぐ約束をしてしまう。岩尾に前倒しでの金を要求する加東だったが・・・

 

盗み出した4000万円を巡り、4人の男と1人の女が繰り広げる静かな争奪戦。表向きは一人1000万円を均等に渡すと見せながら、様々な方法で仲間割れを誘発し、取り分を増やそうとする山崎努、殺し担当の西村晃、最年少故の久保明の欲望への弱さ、愛すべきアホ丸出しの加東大介、どう出るか読めないルミ子が、偽装不動産屋で繰り広げる駆け引きに引き込まれます。

1965年製作ながらスタンダード・サイズ、モノクロの低予算映画ですが、ノワール映画にモノクロは実に合い、淡々としつつもスリリングな快作です。

 

東京湾(1962年松竹/野村芳太郎監督)

あらすじ:白昼の銀座で麻薬組織へ潜入していた捜査官が頭上から狙撃され、死亡した。現場証拠から犯人は左利きと推定され、捜査を担当するベテラン刑事澄川(西村晃)と相方の新人、秋根(石崎二郎)は都内を駆け巡り、犯人と思しき男、井上(玉川伊佐男)を見つけるが、その男は戦争中、中国戦線で澄川の命を救った男だった・・・

砂の器」「張込み」「八つ墓村」などで有名となる野村監督のサスペンス映画。如何にも野村監督らしく、戦後の混乱期で犯罪に手を染めざるを得ない人々の悲哀や、家族を顧みず捜査に没頭する刑事たちやその家族の悲喜こもごもの人間味、そして最大の見どころは低予算故の、都内全域でのオールロケーション撮影です。

白昼の銀座松屋前から始まり、浅草、千住、京成立石、青砥、地下鉄(営団/都営)、荒川沿い、秋葉原、品川駅、夜行客車列車内での終盤まで、犯人を追って都内全域を駆け巡る二人の刑事とともに、1962年当時の東京がありのままに記録されており、古い風景好きにはたまりません。

特にラストでは犯人の逃亡を防ぐため、刑事たちがその晩の長距離夜行列車を一本一本東京、品川、横浜の3駅で張り込む場面が登場しますが、時刻表や行先など、長距離夜行全盛期の国鉄の姿が登場し、鉄道マニアには溜まらない名場面といえるでしょう。

結末は現在みてもかなり衝撃的でした・・・

クレジット上の主演は石崎二郎という新人で、お世辞にも演技は上手くありませんが、事実上の主演である西村晃の圧倒的演技力でカバーされており、不器用な演技が逆にうまく作用したラストシーンが記憶に残ります。

 

しかし久々に映画館に行った感想として、35ミリ映画はやはり、映画館でのフィルム上映が圧倒的に素晴らしいですね。音も映像の情報量も、サブスクのHD画質と比較にならず、映画の世界に没頭できます。

5年ぶりの投稿です

大変ご無沙汰しております。

 

2016年8月にシン・ゴジラについてつぶやいて以来、すっかりとサボり続けてしまっておりましたが、思うところあり、また投稿を再開したいと思います。

 

これまでと変わらず本や映画を中心につぶやいていきますので、よろしければご笑覧ください。

 

シン・ゴジラの面白さ

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庵野秀明ゴジラを監督すると聞いた時、ゴジラが復活することへの期待と同時に、一抹の不安を抱えたものも多かったのではないだろうか。なにしろ庵野総監督はエヴァ新劇を事実上放棄してゴジラを手掛けており、脇には単独で監督をさせたら毎回悲惨な樋口真嗣である。そして東宝は安易な漫画の映画化や安易な若手の乱用に定評がある体たらくで、本当に久々の国産ゴジラとして、国内外に出せる映画が作れるのか、正直不安があった。しかし、公開されたシン・ゴジラエヴァすぎる部分が少し気になった程度で、総じてとても面白い「日本映画」として完成されていた。(大幅なネタバレはないが、一部の展開は書いてあるのでネタバレありということで)

<政治ドラマとしてのゴジラ

シン・ゴジラは良作の政治ドラマであり、迫力十分のゴジラ映画だった。本作は「政治映画」である。怪獣映画で半ばお約束になっていたマスコミ関係の連中や、しゃしゃり出てくるような子供は一切主要キャラとして登場せず、最初から最後まで、一貫して矢口をメインとする「官」が主人公である。「想定外」の国難に対し、官はどう動き、どう決定を下すのか。前代未聞の危機を相手に即座の行動も対策も出来ず、時間と被害だけが経過してゆく前半の展開に歯がゆさを覚え、国民を考え、知恵を出し合い、ゴジラに対処していく中盤以降に拍手を送りたくなる。もちろんこれらのストーリーには、先の震災を思わせるものがあるし、将来に何かの危機が起きたときに、同じことが現実で繰り返されるのではないかという危惧さえ抱かせる。

<リアルなシミュレーションであり、フィクション。或いはそのどれか>

「現実対虚構」 「ニッポン対ゴジラ

これが本作のキャッチコピーだが、正に現実と虚構の境界線を、ギリギリで成立させることに成功している。政府内のやりとりや外交はいかにもリアルである一方、ゴジラそのものは(2016年現在)虚構であるし、後半に展開される対ゴジラ作戦には、中盤までのリアルさが嘘のようなトンデモ攻撃が見れたりする。人によって前半までは現実、後半は虚構と見ることも出来るし、ゴジラを他のものに入れ替えてみればバリバリのシミュレーションとも見れるし、逆に全くの虚構として見ることも出来る。あの浮きすぎな石原さとみも、ある意味リアルと虚構のバランスをとっていると言えるかも知れない(シミュレーションというには浮きすぎており、人間側の虚構性を一手に引き受けている!)。説明過多で、一つの解釈を押し付ける某愛国エンタメなどに辟易している人にお勧め。本作を見た人が「語りたくなる」要因だろう。

<おじさんオールスター>

明らかに監督が意識したと思われるのが岡本喜八のオールスター映画(何しろ写真で出演している)。淡々と、膨大な登場人物たちが細かいカットの積み重ねで登場するのは『日本のいちばん長い日』『激動の昭和史 沖縄決戦』を思い出さずにいられない。男(おっさん)がガンガンアップで出まくり、女子供が殆ど出てこないのも昔のオールスター戦争映画にそっくりで、久々に黄金期の日本映画が復活した感がある。※無論余分な恋愛ドラマも、お涙頂戴もなく、ドライに日本の危機とそれに立ち向かう集団としての日本人が描かれる。そこに大きなカタルシスが現れる。近年日本は自信を失い、他のアジアと比較したり、或いは白人にテレビ番組で褒めてもらうような軽薄、低俗なことでしか自信を感じることが出来ないように見える。「シン・ゴジラ」は健全に、日本の人が自信を感じることが出来る映画と言えるのではないだろうか。石原さとみは確かに浮いているケド… 

※本作は製作委員会方式ではなく、事実上東宝の単独製作である。正に、黄金期のスタイルが復活できているのだ。

<シリーズ最恐のゴジラ、シリーズ最強の主人公「たち」>

 見た人に異論はないと思うが、本作のゴジラは正に過去最恐。東京中心部を一撃で火の海にするあの場面では「日本は終わってしまうのではないか」と二回目で見ても絶望的になる。派手な動きがなくとも着実に街を破壊し、人々の生活を吹き飛ばし、放射能もしっかりまき散らす。金子修介ゴジラの白目ゴジラも凄いが、単純な破壊力と威圧感では初代に並ぶものがある。圧倒される面白さがある。

 今回のゴジラにはオキシジョンデストロイヤーも、スーパーエックスも、対抗する怪獣も登場しない。官僚や学者のチームは、今出せるアイディアと技術力で最恐のゴジラに挑む。その様子はリアルであり、そして強い。個々の発言力や行動力、決断力には弱いが、そういう人々の集合体として発展してきた日本人の国民性の強さがそこにある。矢口というメインキャラはいるが、彼を含め膨大な登場人物すべてが主人公である。そのカタルシスは、最近の映画ではあまり味わえるものがない。先に挙げた「オールスター映画」の面白さでもある。

 

思わず色々と友達と語りたくなる、久々の大型邦画であり、映画館で見る価値が十分にある。サントラもよい。

【2015年映画振り返り】『スターウォーズ フォースの覚醒』と『スペクター』は評に困る映画である

最後に更新したのが4月末ということで、久々の投稿となります。残り少ない学生生活ということで、生き急ぐ毎日です。色々とバタバタした2015年もあっという間、皆様どうぞ良いお年をお過ごしください。

年末ということもあり、周囲で年間ベストを組まれる方も多々おります。ただ私は映画好きなものの、あまり映画館に頻繁に足を運ぶ人間ではなく、話題作を何となく見たり、ソフトが出てない旧作を名画座でやってる時に見に行く程度です(それでも世間一般よりは見ておりますが…笑)。

ただ今年は話題作の続編が豊作な年ということもあり、『セッション』『マッドマックス』『ジュラシック・ワールド』『キングスマン』(『海街diary』)『スペクター』『スターウォーズ』『ミッションインポッシブル』などの大作を映画館で観ました。

これらの中でも圧倒的面白さと熱狂をくれた『マッドマックス 怒りのデスロード』は周囲も絶賛の嵐で、特にここで言うこともない傑作ですが、年末興行の大目玉として前々から話題になっていた「007」と「スターウォーズ」シリーズの新作は相当の期待をして劇場に足を運び何とも「!???!?!?!」な感覚を覚えたので年末投稿のテーマにしようかと思います。見て困り、感想に困る大作ならではのジレンマを感じる作品であったのです。以下はある程度のネタバレを含みますのでご承知おきを。

 

【007 スペクター】

スペクターと言えばショーン・コネリーの時代に世界制覇を目指して大活躍した悪役界のスーパースターとも言うべき秘密組織です。そのスペクターとその頭領ブロフェルドが久々に登場する『スペクター』は007を紛いなりにも全作見た人間として期待をせずにはいられません。しかし、出来上がった作品は娯楽映画としての007の世界への回帰を目論見つつ、サム・メンデスの作家性を遺憾なく発揮した何とも中途半端な作品になっていました。『スカイフォール』と比較して大幅に増量されたアクションシーンは007の余裕を感じさせる場面もある反面、あの007がスマートに敵を倒せずボンドガールに大真面目に助けて貰うという衝撃的な場面もあり、時代の変化?を感じさせます(昔の『ロシアより愛をこめて』でも助けて貰ってはいますが、あれは場面自体がネタのようなものなので)。驚くべき大金を投じたボンドカーは自慢の秘密兵器が「作動しない」ジョークを披露し、殆ど活躍しないまま川に捨てられる始末。『リビングデイライツ』の小学生歓喜のメカてんこ盛りのアストンマーチンがフェイバレットの私としては何とも納得できません。そして期待したスペクターのボス、ブロフェルドは散々主人公を苦しめ、世界を破壊してきた組織のボスにしては迫力に欠ける人物で、犯行動機も限りなく陳腐。007のお約束である「殺せるチャンスがありながらボンドを殺さない悪役」ネタの数々は今回も健在ですが、かつての悪役たちにあったヘンな迫力とカリスマ性が無いために、不思議と違和感を感じてしまいました。何故か一発で爆発する敵の基地、何故か拳銃で落とせる敵のヘリなどは、往年の007のハッタリ精神の再来と言えなくもないですが、監督の演出がここでも真面目なので、イギリス的な余裕に欠けます。

周囲はおおむね『スペクター』を絶賛しています。特に007シリーズ、ダニエル・クレイグのシリーズを細部まで見てきた人にとっては連関性や小ネタも多く、楽しめるポイントには事欠きません。単に私の期待していたボンド映画とは若干違ったということに過ぎないのですが、シリアスなポイントやギャグの方向性の違い、悪役の貧弱さなどで十分に楽しめなかった映画です。主題歌も前作の方がよかったかなぁ…(*_*;

レア・セドゥは良かったです。

 

スターウォーズ フォースの覚醒】

オールドファンにはエピソード1から3までの新3部作は評判が悪いと聞きますが、幼少期にポッドレースに熱狂し(64のゲームを友達の家でやった)、エピソード3は劇場で見て、サントラを親に買って貰って聞きまくり、PS2のゲームをやり込んだ身としては新3部作を含めてスターウォーズは娯楽映画の頂点だと思っています。元々ルーカスの構想があったとはいえ、6部作ですっきり簡潔したサーガを再開すること、製作が「あの」全然ソフトじゃない権力とやり口で世界を支配しようとするソフトパワーの大御所、ディズニーということにはかなり不安がありました。しかし作る以上、あのシリーズのDNAを維持し、面白い映画を作ってほしいという期待はあり、ワクワクして見に行きました。

地元にある映画館、立川シネマシティは「極上爆音」という上映に拘っており、映画ファンを中心に人気となっています。マッドマックスでは全編席がプルプル震えるほどの重低音が響き渡り、映画館の面白さを感じさせてくれるマッドな上映を見せてくれました。『フォースの覚醒』も久々のテーマ曲が爆音で響き渡り、「はるかかなたの銀河系」に戻った喜びに浸りつくします。そして新たなる主人公、かわいいBB8、帰ってきたミレニアムファルコンの面々に興奮はマックス。「楽しめなかった」と言うのは大嘘で、大いに楽しみました。しかし、後半に行くにつれて十分に楽しめない箇所が出てきます。『スペクター』もそうですが、悪役の魅力不足は映画の面白さを決める上で重要な役割と言えるかもしれません。悪役と言うべきかは微妙なところですが、『セッション』のフレッチャー大先生、『キングスマン』の”ビックマック”サミュエル・L・ジャクソンなど、コワかったり笑える魅力ある相手役の存在が今年度の高評価作品には共通しています。本作の相手役、カイロ・レンは今後のエピソードで成長を見せ、ベイダー卿を凌ぐ存在になることが期待できる存在ではあります。しかし本作ではあまりにも強大な悪を思わせる登場場面と後半のショボショボな戦いとのギャップが大きすぎ、素顔が半端なく微妙なこともあって、次作以降の期待より見終わった後の不満が先に来てしまいました。また彼は強い悪になる為に乗り越える壁として「父殺し」を断行しますが、旧3部作に親しんだ身としては御大のご退場には落胆の色を隠せません。ハリソン・フォード町山智浩曰く、いつも「帰りたそうな顔」で演技をし、映画自体にはさほど関心のない人故に、もしかしたら本人の意向や高いギャラを製作陣が考慮した結果なのかもしれません。残りのエピソードで彼の穴を埋めるキャラクターが登場したり、或いは本作のキャラクターが補いうる魅力を得ていくことを期待する他ありません。

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戦闘シーンは技術の発達の結果、迫力あるものに仕上がっています。ただまたもや懲りずに登場する某人工星モドキとその攻撃シーンなどは旧作の焼き直しにしか見えず、展開が早すぎて節目不足の箇所は多々あります。フォースは間違いなく「覚醒」しますが、唐突すぎです。新兵器で哀れ吹き飛ばされた星々の言及が皆無とは(*´Д`)、何となくコルサントっぽい星があったり、非常に気になる部分ではあるのですが…

演出はルーカス時代とはだいぶ異なります。登場人物のアップが多く、頻繁に画面内を全力疾走します。昨今のアクション映画の撮り方を踏襲しており、時代の必然と言えばそれまでですが、スターウォーズサーガを特徴づけ、SW足らしめていた「風格」が本作に感じられません。スターウォーズは「遥かかなたの銀河系の御伽噺」です。ルーカスは神話、歴史もの、冒険もの、黒澤明、東洋的要素といった要素を自在に展開し、奇跡に近い手腕でSWの世界観を作り上げましたが、そこにあったのは神話としての風格と様式美でした。カメラは過度なアップやズームを意識的に多用することはせず、一定の距離からキャラクターをとらえ続け、どのような場面であってもジョン・ウィリアムズの丁寧な仕事の結晶が画面を支えて、ハリウッドの映画全盛期を思わせる安定感を生み出していたと私は考えています。20世紀フォックスのファンファーレがそれに一役買っていたのはいうまでもありません。『フォースの覚醒』には神話的な要素と風格があまり感じられず、「久々の新作ということでとりあえずウケそうな要素を一通り盛り込んでみました(フォーマットは最近のハリウッド大作で)」という感すらあります。ラストは最高にダサい空撮です。これは私的に全然ウケません。

本作でもウィリアムズが音楽を続投し、量産型のハリウッドスコアとは一線を画す、伝統的なスコアの力作を生み出しています。高齢や健康状態などで定番のロンドン交響楽団ではなく、アメリカのオーケストラで録音された音楽はロンドン響的な金管の響きが足りないこと以外は満足できる出来です。ただ過去作にあった作品を特徴づけるスコアがありません。旧3部作は言わずもがなで、EP1ではポッドレースのマーチ、運命の戦い、EP2ではアナキンとパドメの「愛のテーマ」(どことなく古い響きですね(^^;)、EP3では暗ーい決闘のテーマ曲など、それぞれのエピソードに一度聴いたら忘れられない名曲がありました。本作は見終わって印象的なスコアをいつものテーマ曲以外に思い起こせませんでした。テーマの焦点が定まらず、新規性と決定的な見せ場に欠ける本作を反映しているかのようにも感じられます。これまでに見たことがない何かを見せてくれるのが新旧問わずスターウォーズの魅力でした。観た覚えがある設定と物語展開、21世紀的なショットの数々はディズニー製の商業作品として申し分がないものの、神話としてのスターウォーズを一般的なSF大作の枠に落とし込んでしまった感があります…

不変と思ったことはSWの「役者殺し」なところくらいでしょうか。レイをはじめとし新たに出演した役者のみなさん、大変だと思いますが頑張って幸せになって下さい。次作では監督が交代すると発表されています。間違いなく見ると思いますが、期待より不安を感じながら足を運ぶことになりそうです。総括して新作の007とSWは世間的には人気が高く、人前で感想を言うのが非常に難しい作品でした。

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手短に今年の映画で楽しかった作品としては『マッドマックス』は言わずもがなで『キングスマン』。中盤の訓練シーンの中だるみ以外は最高の娯楽映画で、『スペクター』より全然楽しめました。『ミッションインポッシブル』の異常な安心感も否定できません。賛否両論ありますが『バードマン』の男女関係のヘンにリアルなところや視点の面白さは結構楽しめました(ラスト除く)。あとこれは別枠になりますがフィルムセンターでみた『東京暗黒街 竹の家』は相変わらず最高です。リマスター画質でよみがえった戦後8、9年目のカラーの東京の風景とヘンテコ日本の融合、骨太すぎて滅茶苦茶なドラマに惚れ惚れします。

逆にイマイチだったのは『海街diary』。原作は結構良いマンガと思いましたが、例によって無駄に湿っぽく、家族モノの暗ーい要素にグイグイ押し込んでいく是枝監督の作風には毎度ながらヘドが出ます。『ジュラシック・ワールド』の文脈を無視した衝撃的な展開の数々は最低脚本賞ものです。矛盾しますが助演男優賞は『ジュラシック・ワールド』のTレックスです←。『エクソダス』は若いころの北野武みたいなエジプトの王様が執拗にモーセの嫌がらせを受ける様はある意味面白いですが、SFX以外記憶に残らない凡作。最低は『バケモノの子』、見た覚えのある展開のごった煮が終始展開し、監督のケモノ愛だけが爆走するとてつもない駄作です。東宝はもう一本細田と組んで映画を作ることを考えているそうですが…

『イミテーションゲーム』『アメリカンスナイパー』はこちらにレビューした通りです。

 

新年はホラー「イットフォローズ」が面白そうなので、見ようかと考えています。SWの上映前に流れた『シン・ゴジラ』のあろうことかまたエヴァ色全開の予告編は不安以外なにも感じられなかったので、戦々恐々として公開を待ちます。ゴジラエヴァ的要素は持ち込まないでほしいような…

 

年の瀬に悪口ばかりで申し訳ありませんでした。

 

 

改めてみなさま良いお年をお過ごしくださいませ!

これぞ「悪の法則」!『戦争プロパガンダ10の法則』

イギリスの政治家アーサー・ポンソンビーは、イギリスが第一次世界大戦時に行った膨大な質量のプロパガンダを目の当たりにし、戦後10年経った1929年に『戦時の嘘』という本を執筆した。その本に書かれた10の法則を、フランスの歴史学者アンヌ・モレリが解説するのが本書だ。戦争の際に、いや戦争以前以後にも渡って国家が吹聴するプロパガンダを分かりやすく学ぶことができる。一口に戦争を学ぶといっても個々の戦いや当時の政治力学、地理的民族的勢力図など色々な観点がある。これらの要素は状況ごとに千差万別であったりするが、戦争プロパガンダは場所や文化、人種を問わず常に登場する普遍的な仕組みなので、本書を読むことは戦争を知る上で非常に重要な第一歩となるはずだ。事実、ポンソンビーが『戦時の嘘』を出した1929年にも世界中でプロパガンダが吹き荒れていた。

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「われわれは戦争をしたくない」「敵の指導者は悪魔みたいなやつだ」「我々は領土や覇権を望んでいるわけではない」などなど、戦争について学ぶ際や見聞きする際に必ず登場するレトリック10個をモレリは古今東西の戦争を引き合いに出して検証する。

結果は言わずもがな。面白いことにどのような戦争でも例外は無く、10のプロパガンダは固有名詞だけ変えてあらゆる戦争に登場する。モレリは主にフランス、イギリス、アメリカ、ドイツ、NATOといった白人国家を検証例に引用しており、日本や中国などのアジアはわずかしか登場しない。だが第一次大戦、第二次大戦、ベトナム、アフガン、湾岸、コソボグレナダイラクでアメリカ、ドイツ、イギリス、フランス、日本、ロシア、ソ連ウクライナなどあらゆる国がこの法則を運用(悪用)している事実を突きつける本文は身も蓋も無く、ここまでくれば実に痛快だ。冷静に考えれば日本、韓国、北朝鮮、中国、台湾、インドネシアベトナムなどのアジアも10の法則を運用しているわけで、「我々は例外だ」とか言う時点で10の法則を実践してしまっているのだ。

ただこの本は単にポンソンビーの法則を検証するだけなのでボリュームも内容も薄い。本来はこの本の内容を端緒として、プロパガンダの応酬たる戦争の混乱の最中における人間の行動や政治についての研究、原因探求に繋がっていくべきだろう。

正直なところ、日頃から政府などのプロパガンダに関心を持っている人や、戦争における「正義」なんぞに疑問を抱く人、或いは筆者みたいにサウスパークとかシンプソンズが大好きな人にとっては「そんなのとっくに分かってたよ」レベルの内容。しかしネットなどに散らばる有象無象の情報に踊らされて「××の戦争で△△は悪いことを一切してないけど、○○は残虐非道なことばかりした」と本当に思ったりする人は一度本書でも読んで、自身の白痴ぶりを存分に理解するが良いであろう(そういう人たちはこういう本は一切読まないし、関心を持たないからあのザマなんだけどね!)。

現在も刻一刻と運用されている「悪の法則」(リドリー・スコットじゃないよ)を手っ取り早く学べる本書。高校か大学1年の授業で使うには最適だろう。160ページくらいで、文字も少ないため一時間やそこらで読めてしまう。暇な時や移動中の時間つぶしにオススメ。極上の時間つぶしになることうけあいだ。

ブラック戦車隊東へ!『肉弾戦車隊』

軍隊というのはつくづくブラック企業である。兵士は雀の涙の給料で朝から晩まで肉体労働に勤しみ、下手な真似をしてもしなくても時には休日が潰れ、実戦になればヘマしてもしなくても死ぬ可能性がある。国に帰れば国を守るヒーローという栄誉が基本的にはあるが、戦地で戦う兵士は実にストレスフル。この『肉弾戦車隊』も軍隊のプロパガンダ映画ながら、コワーイ上司に苦しめられる実にストレスフルな兵士たちの生活を描いている。

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ナチを追い詰めんとドイツ領内に向けて進攻を続けるフランスの米軍戦車隊。ドイツ戦車との死闘で車長と操縦士を失ったM4シャーマンカリフォルニア・ジェーン」に新たな車長サリバンが操縦士と共に赴任してくる。部下を酷使し、人を人とも思わないサリバンに対し、乗員たちは反発するが、数々の激戦を経てやがて固い絆で結ばれる。いわゆる「鬼軍曹もの」で、40~50年代の戦争映画を見ていると2本に1本は出てくるもっともベタなプロットだ。お調子者、変り者、マジメ君、好青年と登場人物がしっかり書き分けられており、楽しめるがお話としては可も無く不可も無くといった出来。しかしミリタリー要素が同系列の映画とは比較にならないほど充実しており、戦争映画ファン、特に戦車好きには以前から隠れた人気があった映画だ。大昔にテレビ放送されて以来、ソフト化されず日本国内では見ることが難しかったが、ブロードウェイからDVDが発売され、また格安DVDにも収録されたことで初めて見ることが容易になった。筆者は10枚1900円の格安DVDで見たが、画質音質ともに素晴らしく、おそらく正規のマスター映像を使っていると思われる(著作権対策でクレジットの著作権表記がモザイクで消されている)。1951年に公開されたモノクロ作品で、日本では遅れて55年に公開された。

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原案はあの「鬼軍曹」サミュエル・フラーで、戦地における上司と部下、男と男の友情や信頼の物語は実に彼らしいが、脚本・監督は別人。監督を手掛けたのは『総攻撃』『ガダルカナル・ダイアリー』など、ドキュメンタリー・タッチの映画を得意としたルイス・セイラーで、この『肉弾戦車隊』も欧州の米軍戦車隊の様子を、米軍の協力を得て大量のシャーマン戦車を動員して再現している。

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車内外に日用品を積み上げた生活感に満ちた戦車の描写や、アメリカ映画では極めて珍しい「強い」ドイツ戦車が登場し、シャーマンの75ミリ砲が貫通せず、一方的に撃破される様は実にマニアックだ。30台もあろうかというM4戦車が進撃するオープニングから最後までずっと戦車尽くし。実物の88ミリ砲やM36を改造した独軍戦車、M26パーシングも大活躍を見せ、米軍戦車が登場する映画としては間違いなく最高の映画だろう。強いドイツ戦車、リアルなシャーマン戦車の演出、戦争後期の戦闘など、どこか昨年公開された『フューリー』の前日談と言えそうな話だ。尤も『フューリー』とは異なり、残虐だったり暴力的な米兵は一切登場せず、皆何だかんだでお気楽で、大時代なナレーションは全面的に米軍を称えている。捕虜として登場するドイツ軍の将校が野蛮なヒトラー信者として描かれているあたりは実に50年代らしいが、主人公の部隊でドイツ系アメリカ人の兵士が活躍し、解放された町で祖父母に再会する感動場面が登場するあたり、「ヒトラーとドイツ兵は悪だが、ドイツ市民は悪人とは限らない」という当時のアメリカのスタンスが露骨に脚本に反映されている。

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物語としては一兵卒が将軍と話せたり、わずか2名で数十人のドイツ兵を捕虜とするなど、現実味の薄い話も多いが、サリバンの中盤までの非道っぷりは必見。理想のボス像として「部下を思う故に厳しく接する」というのは会社も軍隊も同じだが、一旦戦車任務を離れた部下を無理やり戦車に引き戻したり、実戦で戦車止めに乗り上げさせたり、かなり無謀でサディスティックな行動も多く、やりすぎに思える場面も多い。今だとサイコパス扱いされそうな男だ。いくら最後は信頼するとはいえ、何か月もこの人の下で無謀な突撃ばかりさせられていたら気が滅入ってしまいそうだ…