よろず屋小隊

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『ニッポン無責任野郎』の恐るべきエネルギー

本当はもう試験なので映画見てるべきではないんでしょうが、スカパーでやっているとついつい見てしまう。残念ながら吝嗇な私としては月額4000円のモトを取ろうとついつい見てしまうわけで、コマッタコマッタ。で、日本映画専門チャンネルでは先月から植木等クレイジーキャッツのシリーズ一挙放送などという素晴らしい企画を始めており、これは第二作目。無責任シリーズと言えばとかくC調な植木等の八面六臂の活躍がウリだけど、この二作目は特に凄かった。終始ブラックな笑いが止まらない。この映画の植木等はもはや外道自由ヶ丘駅の改札はすり抜け、ドカドカ人にぶつかっては怒鳴りつけ、うまいこと言って人をハメまくり、知らない人の披露宴にいきなりバンドマンの振りして乗り込んできたらと思ったら「紹介代わりに」と調子いいこと言って新郎新婦の前で「女房にしたのが大間違い。炊事洗濯まるでダメ」と歌ってのける。

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よく考えると結構な人を不幸に陥れたりするんだけども、本人は何も意に介しないもので、C調・ウルトラ前向きとかいうレベルを越えて今の世の中だと「躁」状態と定義されてもオカシクない。だけどそれがイイのだ。無責任と勢いと口車であらゆるピンチを切り抜け、チャンスを異常なほどつかみ(笑)、笑い飛ばす植木さんのキャラクター(でもしっかり実績は上げている。口だけではない、いわばスーパーサラリーマンだ)。彼の周囲のクレイジーキャッツの面々やヒロインたち、おじさんたちはひたすら主人公を盛り上げ、笑い飛ばされるのみだが、男も女も分け隔てなく、非常に強い生命力に満ちている。93年生まれにとって60年代日本は全く未知の時代だが、この頃の映画に満ちているエネルギーの強さにはいつも圧倒される(70年代も凄いけどね!)。勿論、高度成長期では過去の日本の良い点も全て発展の名目で壊されたり、消されたりした側面があるし、東京と地方はまた全く別の様相を呈していたわけだけども、敗戦から17年、オリンピックを2年後に控えた62年の日本人のエネルギーと言ったら!

ラストシーンに至ってはアッパレ!と言いたくなる出来だが、シリーズ一作目『ニッポン無責任時代』を見てないとネタが分からないので、できれば先に見ておきたい。

同然ながらこのような強い生命力のある映画が今の日本で現れるはずもなく、ネットの評価を見ると「やり過ぎ」とか大真面目に批判する輩すらいる有様。低評価するのが若者とは限らないだろうけど、悲しい限りだ。何につけてもそう。今の日本人の多くが自分に厳しいのか甘いのか知らないけど、人の行動を些細なことでも皆で寄ってたかってボコボコにして悦に入っているのばかり。テレビでは日本が如何に素晴らしい国か称える番組ばかり放送されているが、自画自賛する日本のマナーの良さとかだって、見方を変えれば相互監視と無言の圧力の中で保たれているようなものではないのか。どこかの学生が違法ダウンロードしたとか、万引きしたとか、フランスに風刺画で茶化されたとか、どこぞアーティストが政府を批判したとか、言ってしまえば大したことないことに対して「不謹慎」とか「法律違反」とか目くじら立てたり、厳罰化を訴えたりして、自分で自分の首を絞めておきながら、おそらく多くはそれに無自覚。イスラム教徒がフランスで暴れると「日本は宗教的に寛容でいい国だ」とか言っちゃうけど、ウチらだって不寛容じゃないの!?もし将来日本がとんでもないことになった時、そんな人たちが「自分たちは間違っていない。騙されていただけ」とか臆面も無く言うのだろう。イヤハヤ困った。ちょっと愚痴になってしまいましたが、数ある無責任シリーズの中でもオススメの一本です。実はあまり変わらない東急の自由ヶ丘駅、上野動物園、横浜かどこかの遊園地、路面電車の走る東京、建て替えられる前の帝国ホテル、銀行のロビーに置かれた今も変わらぬ星崎電機(現:ホシザキ電機)のウォーターディスペンサーなどなど、62年当時の東京の風俗も楽しい。