よろず屋小隊

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何度見ても良い映画『真昼の決闘』

何度見ても良い映画がある。こういう映画はとどのつまり、色々な酒に手を出しても最後はお気に入りの酒を「やっぱりこれだよな」と飲んでしまう如く、発作的に繰り返し見たくなる代物。恐らく映画気違いに限らず、ヘビースモーカーでも、スポーツ狂でも、アニメ好きでも、小説好きでも同じだろう。さて私にとってのそんな一本が『真昼の決闘』。

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あまりにもベタな名作であるが、お許し願いたい。(良いものは良いですもの!)洋画劇場風に紹介すると

『真昼の決闘』これは凄い映画です。ウエスタン、西部劇ですね。保安官、ヒーローが悪党を退治する、町を、家族を、平和を守る。そういう映画が非常に多いですね。でもこの映画は違います。ゲイリー・クーパー、保安官が昔逮捕して、死刑になる筈だった悪党が、釈放されて保安官に仕返しすべく、正午に駅に着く汽車に乗って町に戻ってくる。悪党の部下が3人、駅で列車を待っている。コワイですね。その保安官は10時半にキレイな奥さん、グレース・ケリーと結婚式挙げたばかり。でもあと1時間半で悪党が来ると知る。でも実は彼はもう保安官ではないんです。結婚して町を去るので、丁度保安官を辞めたばかり。でも交替の保安官が来るのは翌日。悪党の方が先に町に来てしまうわけです。保安官は一旦奥さんと町を出るんですけど、奥さんの反対を押し切って戻るんですね。やはり戦わねばならない、自分が逮捕した相手だから。保安官は4人の悪党に立ち向かおうと町の男達に「一緒に戦おう」と呼びかける。でも誰も協力しないんです。家族もあるし、何より自分の命が惜しい。誰に訊いても無碍に断られる。皆彼に逃げろと言うわけです。その方が彼のためであり、何より町のためだと。皆彼を見捨てるんですね。でもやがて列車が着いてしまう。悪い男達が保安官殺しに来るわけです。とってもコワイ、コワイことがおきるわけです。1952年の作品で、監督は『地上より永遠に』『わが命つきるとも』『ジャッカルの日』のフレッド・ジンネマンです。

当時赤狩りが映画界を巻き込んで大旋風を巻き起こす中で製作されたこともあって、社会派西部劇、異色西部劇と形容されることが多い。この映画では町に迫りつつある悪は非常に単純で、邦題にある「真昼の決闘」は全然大したことない。むしろ主人公と町の人々との関係がメインである。日ごろは口先で正義だ何だ言いながら、いざ危険が迫ると逃げ、それどころか残って戦おうとする保安官を非難する。保安官を支持する僅かな者も、場の流れ、多数派に押されて沈黙してしまう。更に新婚ホヤホヤの妻からも見放されてしまう。孤独に町を弱弱しく歩き回り、一軒一軒協力を呼びかけては断られ、追い詰められていく保安官、それがこの映画のメインであり、見所なのだ。真面目に仕事をしてきた保安官が次第に住民に煙たがられ、彼の功績を平然と忘却したり、全く協力してくれないことはこの映画だけでなく、どこででも起こりうることである。そういえば黒澤の『七人の侍』でも、村人は助けを乞うておきながら、一方では露骨に煙たがる連中だった。

またもう一点、語らずにはいられないのが男と女のエピソードだ。グレース・ケリー演じる新妻に加え、かつては悪党の情婦であり、悪党が逮捕されてからは保安官と関係を持ち、現在は町のチンピラ(ロイド・ブリッジス)と関係を持つメキシコ人の女性が登場する。新妻は夫が今も女を愛しているから町に残っているのではないかと、その女のところを訪れる。その後のやり取りがまた格別である。ピューリタン思想のアメリカでは普通なら間違いなく否定的に描かれていたであろう、こういった非ワスプ(≒白人)系女性を登場させ、「大人の」人間ドラマを一見ドライながら、フィルムから情感が溢れ出るかのように生き生きと描けたことに何度見ても打ちのめされる。私は戦争映画は何よりの愛着を持って見るが、一方で『地上より永遠に』『アラバマ物語』『12人の怒れる男』『スミス都へ行く』『ジャイアンツ』といったアメリカの良心に触れる映画にもトコトン弱く、『真昼の決闘』含めて、こういった映画は何度も見てしまう。本作を製作したスタンリー・クレイマーは本作の他に『渚にて』『ニュールンベルク裁判』『手錠のままの脱獄』『ケイン号の叛乱』『招かれざる客』『サンタ・ビットリアの秘密』など、見たことがある人ならラインナップで一目瞭然の芯の通った映画製作をした。まさに名プロデューサーである。

こういった映画を見てつくづく思うのは、アメリカとは不思議な国だということだ。マッカーシズムのような集団発狂に俳優や製作者が加担する一方で、こういう映画が作られもする。好戦的、差別的な映画が作られる一方で、製作者の良心や観客の知性を信頼したことが分かる映画が作られる。アメリカは近年も色々と世界を荒らしまわる「ならずもの」だが、一方で高い自浄作用を持つメディアが、それに異議を唱え、訴えかける。何かにつけて単一的な論調になるアジアから見て、アメリカのそんな一面は素直に評価したくなるのであった。

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最後に。本作で最高のデビューを飾ったベスト・オブ・男、ことリー・ヴァン・クリーフの雄姿(セリフは一切ないケド)