よろず屋小隊

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美しき戦争映画『大空への道』

<あらすじ>

1941年。とある英空軍基地に新人のピーター(ジョン・ミルズ)が配属された。ピーターは隊員や隊長とすぐに打ち解け、特に同僚のデヴィッド(マイケル・レッドグレイブ)と親しくなる。デヴィッドは町の女(ロザムンド・ジョン)と結婚して一児を授かるも束の間、ドイツ本土への爆撃任務で帰らぬ人となる。ピーターはデヴィッド夫人の店で働くアイリスと恋仲になりつつあったが、彼の死をきっかけに結婚を躊躇するようになる。やがて月日は流れ、アメリカ軍が基地にやってくる。最初は文化や価値観の違いで反目することも少なくなかった彼らはやがて親しくなり、故郷に妻子がいる米軍パイロットのジョニー(ダグラス・モントゴメリー)は未亡人に仄かな恋心を抱く…

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思わぬ拾い物とはこの映画のこと。1945年に公開されたこのイギリスの戦争映画には驚いたことに一切戦闘シーンがない。戦闘機や爆撃機はふんだんに写るが、基地から発進・帰還する場面のみで、ドイツ軍も一切登場しない。だが、そうかといって退屈なことなど無く、むしろ一切戦闘場面を排したことで、戦争の中で揺れ動く軍人と市井の人々のドラマを余す事無く描くことが出来ている。

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『大空への道』には100分の中に戦争での人々の喜び、悲しみ、勇気、恐怖、友情、愛情、不安が全て盛り込まれている。映画は最初に1945年現在の廃墟となった「元」基地を写し、1941年に時間を移す。1941年から1944年までの架空の空軍基地と町を舞台に、そこに生き、戦った人々のドラマが描かれる。ある者は戦死し、ある者は生き残り、ある者は結婚し、ある者は同僚の死をきっかけに結婚を拒む。英空軍(RAF)の基地はやがて米軍との共同基地になり、「米兵は紅茶のポッドも温めない」などお互いに文句を言っていた米英の兵士たちはかけがえのない戦友となり、機体も旧式のブレニム爆撃機から「空の要塞」B17に変わる。町には連日爆撃機の音が響き渡り、パイロットを夫に持つ妻は、子供の世話をしながら不安げに窓の外を見、未亡人は亡き夫の残した詩を大切に持ち続ける。

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当時のイギリスの家庭が体験したであろう戦争像が生々しくも、イギリスらしく実に上品に描写され、観る者に感動をもたらす。とにかく悲しく、明るく、美しい映画だ。

この映画では爆撃機のパイロットが帰還すると必ず「scotch and soda」を飲む。グラスにスコッチを注ぎ、スープやゼリーでも入りそうな銀の脚付ボウルから「おたま」で炭酸水を掬って上から注ぐ。こういった演出も堪らない。今度やってみよう。

戦争が遥か70年前になった現在の我々が見ても感動を受ける本作を、45年当時に見た観客は何を想ったのか。そういった歴史の重みと、戦った人々の勇気に感動する本作。英空軍と米軍の協力を得て撮影され、明らかに当時のイギリス国民に向けてのエールと、戦争への振り返りを与えるプロパガンダ映画の側面があった筈だが、実に丁寧で上品な演出と、ドイツ軍・ドイツ人に対する描写が全く無いことで、現在見ても全く古びない。戦争映画好きで無くとも、見て損のない傑作である。

なお、兵士の帰りを静かに待ち続ける基地の描写や戦後の基地の様子から過去に時間が移る演出など、4年後に作られた名作『頭上の敵機』に影響を与えたのだろうか。ブロードウェイ社から単品でDVDが出てる他、コスミック出版から発売されている10枚組み1900円の格安DVD「激戦」BOXに収録されている。

2時間の再現ドラマ『イミテーション・ゲーム』

"Based on true story"

「事実に基づく物語」

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映画とは本質的にはフィクションだが、時に実在の人物の生涯を脚色し、映画化することがある。所謂「実話モノ」「伝記モノ」、昔の東映でいう「実録モノ」である。

これはコンピューターの基礎を発明したことで名高いアラン・チューリングの生涯、とりわけナチスエニグマ暗号を解読した功績を中心に映画化したものだ。不遇の天才チューリングに扮するはイギリスの大スターベネディクト・カンバーバッチで、国内外の評価も高くアカデミー賞では8部門にノミネートされ脚色賞を受賞し、1400万ドルの予算で2億8500万ドルも稼ぎ出した。インディペンデント映画ながらここまでヒットし、評価されたのは主演の人気、脚本の出来、チューリングの伝記というテーマへの知名度や期待などの結果であろう。戦争映画好きとしてエニグマ暗号を扱っていることもあり、劇場で鑑賞したのだが、個人的にどうしても違和感や物語を楽しめない部分があった。ここで述べるのは非常に個人的な感想であり、異論も承知だがご容赦頂きたい。

 

チューリングの生涯といっても様々な功績やドラマがある。この映画は表向きのテーマとしてエニグマ解読劇であるが、エニグマが解読された後はチューリングの同性愛に纏わる物語に比重が置かれ、終盤に至っては彼の秘められた恋の話になって終わる。あの「クリストファー」を彼が大切に狂気すら感じさせる執念で守ろうとした理由が明かされ、静かで悲しいエンディングを迎える。それはそれで大いに結構であるし、見ていて事実なのか怪しく感じられる、リンゴを配って仲良くなる場面や、パブでドイツ人の彼女の話をヒントに暗号解読する場面なども、そもそも事実を基にしつつも大幅に脚色している映画なので、史実と異なる展開が多々あるのも仕方がないと納得できる。

しかし全編を見通して、一貫性というか、2時間の物語としての纏まりが感じられない。果たしてこの映画はエニグマ解読により終戦を早めた天才チューリングの功績を称える映画なのか、その彼や同性愛者全般に手酷い扱いをした当時のイギリス社会・法律・政府への反省の作品なのか、それとも孤高の変人チューリングの悲恋物語なのか。すべてに重点を置いたといえばそれまでだが、特徴に残らない凡庸な演出も相俟って悪い意味で記憶に残らない。戦前・戦中・戦後の三つの時系列を行き来するシャッフル演出は実際のところあまり効果はなく、戦後篇で登場する刑事はキャラクターとしてあまりにも弱く、登場する意味が感じられない。主人公の個性が際立つ余り脇役が十分に立たなかったか。

説明不足もある。映画の最後では彼の発明が現代の「コンピューター」の原型になったというテロップが出るが、それならば彼の行った研究や具体的な発明に関してもう少し説明があっても良かったのではないだろうか。専門的内容とはいえチューリング・マシンはおろか、劇中でグルグル回る解読機の構造にも一切触れられないのは明らかに消化不良だ。「イミテーション・ゲーム」という題名の意味を見終わって理解できた観客は少なかったのではないだろうか。エニグマ暗号の解読に関しても、様々なプロセスを経たものであり、解読後に如何にドイツを欺いたかなどの戦略に関してももう少し補足が欲しい。全体の利益のためにはアッサリと切り捨てるイギリスらしいドライさは筆者の大好物であり、存分に楽しめるのは良いが、ドライにしても中身が薄い。

芸術性や何か記憶に残る場面の無い、平凡な演出で実在の人物の物語を細かい場面の積み重ねで映像化した結果、『イミテーション・ゲーム』は極めて演技力の高い役者が演じている再現「ドラマ」のような印象を与える。主演や脇役含め、演技は素晴らしいが、名作や傑作と呼べるものは感じられなかった。こう言っては何だが、本作が世界中の映画祭や賞で作品賞や監督賞にノミネートされながら、脚色賞を除き殆ど受賞していないのは、こういったことを如実に示していると言えないだろうか。それでもチューリングをモデルにしつつも異性愛者に改変し、内容の浅い恋愛ドラマにしてしまった2001年のイギリス映画『エニグマ』に比べれば遥かに真摯で丁寧な映画であり、大衆受けはするのだがあと何歩か足りないのである。

 

 

最後にこれは正直一般の人にはどうでもいい点だが、戦争映画マニアとして、オープニングから最後まで記録映像をやたらめったら使い倒す演出は、低予算のインディペンデント映画という点を考慮に入れても蛇足だった。何だか安っぽく、ここも出来の良い再現ドラマと感じさせた点である。マカロニコンバットかYO!

 

 

 

 

話題の凡作『アメリカン・スナイパー』

クリント・イーストウッド史上最高のヒット作で、先月25日、水曜の昼間ながら丸の内ピカデリーは高齢者で賑わっていた。しかし肝心の中身といえば、過去の監督の映画を観てきた者にとっては何ら特徴のない、いつものイーストウッド映画だ。

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戦地で最も多くの敵を殺害した『勇者』の苦しみはタイプこそ違えど『父親たちの星条旗』で既に実証済みで、人生の栄光と転落、苦しみに至っては『ジャージーボーイズ』『ミリオンダラー・ベイビー』などにこれでもかと描かれている。監督の十八番といっていい。親子や夫婦の愛や反発は見飽きた感すらある。尤も監督の演出は前作同様実に要所を押さえつつ、スピーディーなので気がつけば上映時間は終わっている。実に見事なもので、ハリウッド最強のジジイのパワーを見せつけてくれる。

ただ残念なことは、本作がイーストウッド作品としてはそれなりの出来ながら、戦争映画としては極めて凡庸なことだ。見ていて「またか」と思わず笑ってしまう死亡フラグ展開に、既視感バリバリの導入部、アメリカ人の大好きな『アラモ』的攻防戦、『スターリングラード』などでおなじみの優秀な敵スナイパーとの戦い、まんま『脱走特急』『ワイルドギース』な敵地脱出。戦争映画は特殊メイクやカメラワークこそリアルになる一方で、中身はすっかりネタ切れだとよく分かる。イラクを模したであろうモロッコなどでの撮影はお世辞にも良い出来ではなく、チャチなCGも相まってどこか安っぽく、全世界に衝撃を与えた『ブラックホークダウン』の足元にも及ばない。主人公の伝記映画なので他の登場人物のキャラクターは全く立たず、サッパリ盛り上がらない。もちろん監督は戦闘シーンを描く気は最初からあまりなく、あくまで『勇者』の苦しみ、家族や戦友との繋がり、或いはPTSDを描こうとしたのであろう。『父親たちの星条旗』もそういった映画であった。

特徴といえばドリルがお好きな残虐な敵が出てくる位。しかしその後の展開に然程関わるわけでもなく、消化不良である。敵側のセリフは殆ど登場せず、実質危険分子として描くあたり、イラク人を蛮族と呼んで憚らない主人公の視点がぶれずに貫かれているのかもしれない。

本人の原作を元にしており、財団の協力が不可欠なだけに、脚本に制約が多かったのかもしれない。アメリカでは差別的なアラブ人描写に批判も出ているようだが、当然の反応だろう。本作は題名の如く、アメリカ人の為の映画であることは留意しておくべきだろう。無音のエンディングはアメリカ人以外には拍子抜けでしかない。

ブラッドリー・クーパーは本人によく扮しているし、奥さんもそれなりに健闘している。本人の伝記映画としては実によく纏まっている。だがそれまでの映画であった。原作は未読なので、読んだ暁に再びブログに書こうと思う。

中東の戦争映画としては『ローンサバイバー』や『ハートロッカー』『ハートアタッカー』『ゼロダークサーティ』そして『アメリカン・スナイパー』と、一通り揃った感がある。今後新たな作品が作られるのか、気になるところだ。

 

何度見ても良い映画『真昼の決闘』

何度見ても良い映画がある。こういう映画はとどのつまり、色々な酒に手を出しても最後はお気に入りの酒を「やっぱりこれだよな」と飲んでしまう如く、発作的に繰り返し見たくなる代物。恐らく映画気違いに限らず、ヘビースモーカーでも、スポーツ狂でも、アニメ好きでも、小説好きでも同じだろう。さて私にとってのそんな一本が『真昼の決闘』。

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あまりにもベタな名作であるが、お許し願いたい。(良いものは良いですもの!)洋画劇場風に紹介すると

『真昼の決闘』これは凄い映画です。ウエスタン、西部劇ですね。保安官、ヒーローが悪党を退治する、町を、家族を、平和を守る。そういう映画が非常に多いですね。でもこの映画は違います。ゲイリー・クーパー、保安官が昔逮捕して、死刑になる筈だった悪党が、釈放されて保安官に仕返しすべく、正午に駅に着く汽車に乗って町に戻ってくる。悪党の部下が3人、駅で列車を待っている。コワイですね。その保安官は10時半にキレイな奥さん、グレース・ケリーと結婚式挙げたばかり。でもあと1時間半で悪党が来ると知る。でも実は彼はもう保安官ではないんです。結婚して町を去るので、丁度保安官を辞めたばかり。でも交替の保安官が来るのは翌日。悪党の方が先に町に来てしまうわけです。保安官は一旦奥さんと町を出るんですけど、奥さんの反対を押し切って戻るんですね。やはり戦わねばならない、自分が逮捕した相手だから。保安官は4人の悪党に立ち向かおうと町の男達に「一緒に戦おう」と呼びかける。でも誰も協力しないんです。家族もあるし、何より自分の命が惜しい。誰に訊いても無碍に断られる。皆彼に逃げろと言うわけです。その方が彼のためであり、何より町のためだと。皆彼を見捨てるんですね。でもやがて列車が着いてしまう。悪い男達が保安官殺しに来るわけです。とってもコワイ、コワイことがおきるわけです。1952年の作品で、監督は『地上より永遠に』『わが命つきるとも』『ジャッカルの日』のフレッド・ジンネマンです。

当時赤狩りが映画界を巻き込んで大旋風を巻き起こす中で製作されたこともあって、社会派西部劇、異色西部劇と形容されることが多い。この映画では町に迫りつつある悪は非常に単純で、邦題にある「真昼の決闘」は全然大したことない。むしろ主人公と町の人々との関係がメインである。日ごろは口先で正義だ何だ言いながら、いざ危険が迫ると逃げ、それどころか残って戦おうとする保安官を非難する。保安官を支持する僅かな者も、場の流れ、多数派に押されて沈黙してしまう。更に新婚ホヤホヤの妻からも見放されてしまう。孤独に町を弱弱しく歩き回り、一軒一軒協力を呼びかけては断られ、追い詰められていく保安官、それがこの映画のメインであり、見所なのだ。真面目に仕事をしてきた保安官が次第に住民に煙たがられ、彼の功績を平然と忘却したり、全く協力してくれないことはこの映画だけでなく、どこででも起こりうることである。そういえば黒澤の『七人の侍』でも、村人は助けを乞うておきながら、一方では露骨に煙たがる連中だった。

またもう一点、語らずにはいられないのが男と女のエピソードだ。グレース・ケリー演じる新妻に加え、かつては悪党の情婦であり、悪党が逮捕されてからは保安官と関係を持ち、現在は町のチンピラ(ロイド・ブリッジス)と関係を持つメキシコ人の女性が登場する。新妻は夫が今も女を愛しているから町に残っているのではないかと、その女のところを訪れる。その後のやり取りがまた格別である。ピューリタン思想のアメリカでは普通なら間違いなく否定的に描かれていたであろう、こういった非ワスプ(≒白人)系女性を登場させ、「大人の」人間ドラマを一見ドライながら、フィルムから情感が溢れ出るかのように生き生きと描けたことに何度見ても打ちのめされる。私は戦争映画は何よりの愛着を持って見るが、一方で『地上より永遠に』『アラバマ物語』『12人の怒れる男』『スミス都へ行く』『ジャイアンツ』といったアメリカの良心に触れる映画にもトコトン弱く、『真昼の決闘』含めて、こういった映画は何度も見てしまう。本作を製作したスタンリー・クレイマーは本作の他に『渚にて』『ニュールンベルク裁判』『手錠のままの脱獄』『ケイン号の叛乱』『招かれざる客』『サンタ・ビットリアの秘密』など、見たことがある人ならラインナップで一目瞭然の芯の通った映画製作をした。まさに名プロデューサーである。

こういった映画を見てつくづく思うのは、アメリカとは不思議な国だということだ。マッカーシズムのような集団発狂に俳優や製作者が加担する一方で、こういう映画が作られもする。好戦的、差別的な映画が作られる一方で、製作者の良心や観客の知性を信頼したことが分かる映画が作られる。アメリカは近年も色々と世界を荒らしまわる「ならずもの」だが、一方で高い自浄作用を持つメディアが、それに異議を唱え、訴えかける。何かにつけて単一的な論調になるアジアから見て、アメリカのそんな一面は素直に評価したくなるのであった。

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最後に。本作で最高のデビューを飾ったベスト・オブ・男、ことリー・ヴァン・クリーフの雄姿(セリフは一切ないケド)

 

 

耽美と猟奇!橘外男『青白き裸女群像』

私が恐れ多くも時々寄らせて頂いているお店が新宿にある。そのマスターは現役時代、無く子も黙る敏腕編集長を長きに渡り、務められた方だが、そのマスターが人生で最も印象深かった本の一つとして挙げたのが橘外男『青白き裸女群像』だった。

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たちばなそとお?勿論その名を筆者は知らなかったし、余程の怪奇小説マニアか何かでないとこの作家を知ることはないだろう。大学図書館でボロボロの状態の初版本を借りて読んだところ、マスターの目に狂い無しの恐るべき傑作だった。

まず簡単に作者について説明しよう。橘は1894年生まれの1959年没。若き日々は色々と荒っぽい人間だったらしく、横領で一年間牢屋に入ったこともあった。その後作家として戦前、戦後にかけて多くの短編・中篇小説を手がけ、多くは怪奇モノだった。で、この『青白き裸女群像』は1950年に名曲堂なる出版社から出された200ページあまりの小説で、彼の代表作に数えられている。当時の定価は150円也。

まず度肝を抜いたのは、小説の舞台が終始フランスであることだ。もちろん時代が時代なので橘外男は一度も欧州に行ったことが無い。にも関わらず、恐らく膨大な本などを読み込んだのか、或いは創作なのかは分からないが、読んでいるとヨーロッパの光景が生き生きと思い浮かぶ。一見翻訳小説みたいな文体で、海外渡航暦ゼロの日本人が書いたとは俄かに信じがたい、恐るべき文章力・描写力だ。これで物語がとてつもなくおどろおどろしく、面白いのだからタマラナイ。

フランスの片田舎で銀行家の令嬢、カトリーヌが行方不明になる。大規模な捜索活動がされたが見つからず、22年が過ぎたある日。ハンセン病でボロボロになった女性が銀行家の家にやってくる。何と彼女は22年前に行方不明になったカトリーヌだった。あまりの状態に家族も気味悪がる中、彼女は22年間の恐るべき体験を話し出す。彼女は誘拐されて一目に付かぬ地下城に連れてこられ、長きに渡り「殿様」と呼ばれるハンセン病の大男に陵辱され続けたというのだった!城には他にも女たちが連れてこられ、殿様の慰みモノとされた挙句、殺されて像にされたという。あまりも突拍子のない話に家族も半信半疑だったが、事件性を感じたフランス警察のメイニャール警視は執念の捜査を開始する・・!

前半は22年ぶりに戻ってきたカトリーヌの語る恐怖描写、中盤以降はメイニャール刑事の視点から事件の真相が明かされるまでの捜査・挫折・思わぬ展開でラストまで一気に見せる。しかも小説全体が南フランスで起こった恐怖の大事件を「筆者」が第三者視点から読者に「ご紹介」するという、ドキュメンタリー・タッチで描かれるので、嘘八百ながら実録記事やラブクラフトクトゥルー神話を読むようなスリルも楽しめる。一粒で二度美味しい、どころか三度も四度も面白いのだ。

日本の敗戦後、街中には「カストリ雑誌」と呼ばれる三流誌が溢れ、その多くはエログロを売りにしていた。この本も恐らく出版当時はそのカテゴリーに括られたと考えられる。「裸女」とかまるで新東宝映画みたいなタイトルだし、突然ハンセン病末期状態で戻ってきたカトリーヌが語る回想場面は、直接的描写こそ控えめなものの、ハンセン病の大男に陵辱される場面が相手が凶暴・病気持ちということもあって実に嫌悪感といやらしさ全開だ。ハンセン病は小説中では全て「天刑病」もしくは「らい病」と表記される。当時はハンセン病が前世で悪事を働いた人間や、呪われた人間が天罰の如く罹る病気と考えられていたので「天刑」となったようで、現代目線から見ると差別バリバリ。「天刑病持ちなどが家にいると分かったら世間で生きていけない」「どうせ世の中で生きていても肩身が狭い思いをするだけだから、一生面倒を見てくれる養老所で生きた方が彼らのためだ」などなど。またハンセン病持ちの人々は実質「醜いバケモノ」として描かれており、これだけ面白く、代表作でありながら長い間再販がされなかった理由は何となく想像できる(笑)。

しかし、埋もれさせるのはモッタイナイ。単にエログロなだけでなく、犯人、犠牲者、警視、その他の登場人物を含めて個々の情念というか、人間性が痛烈に感じられるのだ。狂人、バケモノ、気違いとして描かれ、実際そうとしか言いようが無い犯人ですら映画『悪魔のいけにえ』の食人一族や、『ヒルズ・ハブ・アイズ』のミュータント一家みたいに、彼らなりの連帯感や人間らしさが垣間見える。終盤に至っては、不謹慎ながら悪役にも滅びの美学というか、一種の美しさを見せるに至る。

束の間の暇つぶしとしても最適な分量で、江戸川乱歩真っ青な猟奇趣味と、ラブクラフトやハマープロ、イタリア製怪奇ホラーを思わせる欧州ホラーの醍醐味、そして刑事モノの面白さも楽しめる、極上の怪奇小説だ。

 2010年に再販されたが、既にamazonではプレミア化。でもヤフオクなら古いバージョンを1000円ほどで入手できるのでダイジョーブ。

陰獣トリステサ---綺想ロマン傑作選

陰獣トリステサ---綺想ロマン傑作選

 

 

 

 

 

『ニッポン無責任野郎』の恐るべきエネルギー

本当はもう試験なので映画見てるべきではないんでしょうが、スカパーでやっているとついつい見てしまう。残念ながら吝嗇な私としては月額4000円のモトを取ろうとついつい見てしまうわけで、コマッタコマッタ。で、日本映画専門チャンネルでは先月から植木等クレイジーキャッツのシリーズ一挙放送などという素晴らしい企画を始めており、これは第二作目。無責任シリーズと言えばとかくC調な植木等の八面六臂の活躍がウリだけど、この二作目は特に凄かった。終始ブラックな笑いが止まらない。この映画の植木等はもはや外道自由ヶ丘駅の改札はすり抜け、ドカドカ人にぶつかっては怒鳴りつけ、うまいこと言って人をハメまくり、知らない人の披露宴にいきなりバンドマンの振りして乗り込んできたらと思ったら「紹介代わりに」と調子いいこと言って新郎新婦の前で「女房にしたのが大間違い。炊事洗濯まるでダメ」と歌ってのける。

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よく考えると結構な人を不幸に陥れたりするんだけども、本人は何も意に介しないもので、C調・ウルトラ前向きとかいうレベルを越えて今の世の中だと「躁」状態と定義されてもオカシクない。だけどそれがイイのだ。無責任と勢いと口車であらゆるピンチを切り抜け、チャンスを異常なほどつかみ(笑)、笑い飛ばす植木さんのキャラクター(でもしっかり実績は上げている。口だけではない、いわばスーパーサラリーマンだ)。彼の周囲のクレイジーキャッツの面々やヒロインたち、おじさんたちはひたすら主人公を盛り上げ、笑い飛ばされるのみだが、男も女も分け隔てなく、非常に強い生命力に満ちている。93年生まれにとって60年代日本は全く未知の時代だが、この頃の映画に満ちているエネルギーの強さにはいつも圧倒される(70年代も凄いけどね!)。勿論、高度成長期では過去の日本の良い点も全て発展の名目で壊されたり、消されたりした側面があるし、東京と地方はまた全く別の様相を呈していたわけだけども、敗戦から17年、オリンピックを2年後に控えた62年の日本人のエネルギーと言ったら!

ラストシーンに至ってはアッパレ!と言いたくなる出来だが、シリーズ一作目『ニッポン無責任時代』を見てないとネタが分からないので、できれば先に見ておきたい。

同然ながらこのような強い生命力のある映画が今の日本で現れるはずもなく、ネットの評価を見ると「やり過ぎ」とか大真面目に批判する輩すらいる有様。低評価するのが若者とは限らないだろうけど、悲しい限りだ。何につけてもそう。今の日本人の多くが自分に厳しいのか甘いのか知らないけど、人の行動を些細なことでも皆で寄ってたかってボコボコにして悦に入っているのばかり。テレビでは日本が如何に素晴らしい国か称える番組ばかり放送されているが、自画自賛する日本のマナーの良さとかだって、見方を変えれば相互監視と無言の圧力の中で保たれているようなものではないのか。どこかの学生が違法ダウンロードしたとか、万引きしたとか、フランスに風刺画で茶化されたとか、どこぞアーティストが政府を批判したとか、言ってしまえば大したことないことに対して「不謹慎」とか「法律違反」とか目くじら立てたり、厳罰化を訴えたりして、自分で自分の首を絞めておきながら、おそらく多くはそれに無自覚。イスラム教徒がフランスで暴れると「日本は宗教的に寛容でいい国だ」とか言っちゃうけど、ウチらだって不寛容じゃないの!?もし将来日本がとんでもないことになった時、そんな人たちが「自分たちは間違っていない。騙されていただけ」とか臆面も無く言うのだろう。イヤハヤ困った。ちょっと愚痴になってしまいましたが、数ある無責任シリーズの中でもオススメの一本です。実はあまり変わらない東急の自由ヶ丘駅、上野動物園、横浜かどこかの遊園地、路面電車の走る東京、建て替えられる前の帝国ホテル、銀行のロビーに置かれた今も変わらぬ星崎電機(現:ホシザキ電機)のウォーターディスペンサーなどなど、62年当時の東京の風俗も楽しい。

さらばロッド・テイラー

日本に限らず往年のスターが次々と亡くなるこの頃。俳優のロッド・テイラーが84歳で死去した。ヒッチコックの『鳥』も勿論だが、個人的にイチオシはアフリカの血も涙も無い内戦を容赦なく描いた傭兵映画『戦争プロフェッショナル』。ケネス・モア、ペーター・カルステンといった曲者俳優に囲まれ、ストーリー的にも『ワイルドギース』以上に難しい演技を求められる役だったが、見事に演じきっていた。タランティーノがそれの大ファンだったもんで、タラちゃんの『イングロリアス・バスターズ』では老齢すぎるもチャーチル役でゲスト出演を果たしたのが最後の出演作。

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あと作品の出来はともかくM18ヘルキャットが大活躍するユーゴスラヴィアの戦争アクション『ヘル・リバー』も印象深い。むかーし中学生の頃にテレ東で見た『アフリカ大空輸』(話は完全に忘れた)の主演だったっけ。そういえばマカロニ・コンバットの隠れた名作と言われながら、一回もソフト化されておらず未だに見れていない『栄光の北アフリカ戦線』ではロッド・スタイガーと共演していたらしい。

ご冥福をお祈りします。